Read Article

死にたい、でも生きたいんだ。

死にたい、でも生きたいんだ。

うつ病で苦しんでた頃。ずっとずっと、「死にたい」って思っていました。寝てても起きてても「死」が常に頭のどこかにあって、生き地獄みたいでした。

でもね。死にたいって思っていても、心のどこかでは生きていたかったんです。

 

死にたい気持ち99%、生きたい気持ち1%

うつ病になってから、自分が生きていることに価値を見出せなくなってしまって、もう私なんか死んじゃった方がいいんだって本気で思ってました。それでも死なずにいたのは、家族は悲しむかもしれないという、かろうじて保たれていた理性と、ただ行動に移せなかったという気力のなさのため。

死にたい。死んでしまおうか。やっぱりできない。でも死にたい。そんな思考の無限ループ。死にたいと思わない日はありませんでした。

 

でも、その気持ちがすべてだったわけではないんです。

頭の中すべてを100%とするなら、99%くらいが「死にたい」で、1%くらいが「生きたい」でした。

 

その割合は、日によって変わります。ちょっと調子のいい日には「生きたい」割合がいつもより少し増えたり。抑うつモードのときには「死にたい」割合が99・9%くらいだったり。

でも、ほとんどの場面で、「死にたい」気持ちの方が勝ってました。「生きたい」気持ちが50%を超えることは、ほとんどありませんでした。

 

「生きたい」気持ちが強くなるとき

そんなに「死にたい」気持ちばっかりで頭の中も心の中も占められているときでも、私が死ななかったのには理由があります。それは、どこかで「生きたい」を感じる瞬間があったから。

 

いつも食べているご飯が美味しく感じられたとき。

ふと見上げた空が、ものすごく綺麗に感じられたとき。

抱きしめてくれた大切な人の腕が、温かかったとき。

 

そんな些細な瞬間に心がほぐれて、「もう少しだけ生きてみてもいいかも」って思えたんです。その瞬間の積み重ねで、私は今ここに生きているんです。

調子の悪いときは、そんなふうに感じられる瞬間はなかなかありません。でも、ちょっとだけ心が落ち着いているときは、そう感じられる。

その瞬間を自分の中で大切にとっておいて、つらいときに反芻して。また新しい出来事や感情に出会ったら、また大切にとっておいて。その繰り返しでした。

小さく小さく、そんな心のリハビリを重ね続けていったある日。ふと、心の重みが取れていくのがわかりました。それが、私の中で「死にたい」と「生きたい」が逆転した瞬間でした。

 

 

死にたいっていう気持ちは、うつ病の人にとって本気の叫び。誰かの気を引きたくて言ってるんじゃなくて、大げさなわけでもなくて、本当にそう思っているんです。

その「死にたい」自分を無理に否定する必要はありません。でも、その中にちらっと見え隠れする「生きたい」自分を、どうか殺さないでほしい。その小さな気持ちがあるだけ、生きている価値はあると思います。

 

 

URL :
TRACKBACK URL :

コメントを残す

Facebookでコメント

Return Top